Boop

 レンは小さく溜息を吐いて、部屋を走り回るチームメイトを見た。
 本日の任務を終え部屋に戻ってからずっと、ノーラは元気いっぱいだった。

 ベオウルフの群れのボスを探そうと、チームJNPRがそれぞれに分かれたとき、ジョーンとピュラはアーサと遭遇してしまったらしい。まだ戦闘では足元が覚束ないジョーンだが、ピュラの手助けもあって、彼らはなんとかそれらを倒すことができたのだという。
 困難だった任務の後、そのねぎらいのため、ジョーンとピュラは行きつけのスイーツ店に出かけていた。いつだったかに開拓したのだというその店に、彼らはおそらく週に一度ほどの頻度で出かけていた。もちろんレンとノーラも誘われていたが、彼らの逢瀬の時間を邪魔したくなかったため、いつものように遠慮した。

 そうして今、レンとノーラは二人、部屋に残っている。
 レンにとって、ノーラの傍にいることは、なにひとつ苦にならない。週末の返却日までに読み終えなければならない本の文字を目で追いながら、耳だけはノーラに傾ける。絶え間なく続くノーラの話の途中に、大げさに誇張された一節をみつけて、レンはくすりと笑った。「森の端で超大きな怪物と出会って倒した」などと。
「ノーラ」
「んでそいつはとびっきり強力な蹴り――はあい、レンなに?」
 レンの簡素な呼び声に、ノーラはぴたりと動きを止めた。ベッドの上で片足を上げたままの不安定な格好ながら、不器用に両手でバランスをとり、ふらふらと左右に揺れている。ノーラは不思議そうに首を傾げ、彼の顔を見た。
「"超大きなアーサ"? 君のすぐ傍にいたもう一人は、そんなもの見てませんよ」
 レンは静かに尋ねると、ぺらりとページをめくった。
 ノーラは完全に動きを止め、顎に指を添えてフムと思案した。そしてそのままベッドに腰を下ろそうとしたところで、勢いよく飛び上がった。
「たぶん、あなたの言うとおり!
 そいつは超スーパーウルトラおっきかった!!」
「……そうでしたね」
 レンは虚しく同意した。
 小さく欠伸をする。とうにシャワーを済ませ、寝巻きに着替えていたレンは、今すぐにでも眠りたかったが、未だ不在のチームメイトの帰りを待たねばならないだろう。気を入れ直して、眠気を忘れることにする。
「ノーラは疲れていませんか?」
 ノーラは少し考えた。
「うん、まだまだへいき!」
 言うが早いか、彼女は今いたベッドから目の前にあった椅子まで大きくぴょんと跳んで、くるりと彼の方を向くと、大業に敬礼した。
 レンはやれやれと苦笑した。彼は自分のパートナーのことを知り尽くしていた。この過剰なほどの溌剌さに、今更うんざりすることもない。
「今日の任務は、君にとっても大変だったと思うんですが」
 ノーラはぐらついていた椅子に腰を下ろし、背もたれにぐんと凭れかかった。
「ぜ〜〜〜んぜん!」
 高説を垂れるかのように、語気を強めて言う。
「私はそいつが超大きかった、と言ったけど。手強かった、とは言わなかったでしょ?」
 彼女は背もたれに反り返り、天井を見上げた。
「すっごく楽しかった! いっぱい攻撃、当てられたし!」
「……怪我はないですか?」
「ないよ。あ、でも」
 ノーラは身を起して、椅子の背もたれをくるりと前方に回し、顎を休めた。
「一発だけ危なくかすったかもしれないなぁ。髪の毛一本くらい、切られちゃったかも?」
 彼女は冗談めかして、くすくすと笑う。
 その言葉に、本のページを捲るレンの手が凍った。まじまじとノーラを見つめる。
 彼は自分のパートナーのことを、誰よりもよく知っていた。常に威勢良く狂気じみた戦闘スタイルにも関わらず、ノーラが敵の攻撃を受けることは滅多にない。しかし、彼らが今日戦ったグリムらが、押し並べて通常のものよりも大きかったのは確かだった。
 レンは大切な本をおざなりに放ると、立ち上がってパートナーのすぐ近くまで歩いた。彼は跪き、ノーラの顎をそっと持ち上げた。
「…レン?」
 尋ねる声は、なぜか少し硬い。
「確認させて。……うん、君の髪は、どうやら大丈夫です」 
 レンは照れ隠しついでに、ぴし、とノーラの額を軽く指ではじくと、いそいそと放り捨てた本の元に戻る。彼女の言葉に嘘がなく、傷ひとつなかったことに、深く安心しながら。
「でも、次からはもっと注意してください。いいですね?」
「うん、わかった」
 笑顔で答える声は、とても穏やかだった。
 ノーラは椅子の上でくるりと回ると、地面にゆっくりと降り立つ。
「では、さっきの続き!
 恋人たち(ジョーンとピュラ)が群れのボスと対面していたそのとき、私はキング・アーサの気を引き付けてた!」
 レンは微笑み、再びノーラの話を訊きながらの読書に戻った。

 しばしの時間が過ぎた。
 ノーラの勢いは最初と変わらずフルスロットルで、まったく落ち着きがなかった。
 レンは欠伸を噛み殺しながら、読み終えた本を片付けた。
「君は本当に、もう少しのんびりしたほうがいいですよ」
「そんなのつまんない!」
 ノーラは囃したてる。そして自分の机からヘッドフォンを取り装着し、音楽に合わせて部屋の真ん中で踊り始めた。その饗宴に加わるよう目線で誘われたレンは、丁寧に辞退のジェスチャーを返した。
 ノーラがとうとう歌まで歌い始めたので、レンはため息を吐いた。じっと見つめて彼女の目線を引くと、人差し指を口に当てて、柱時計に目を遣る。時刻は9:59を差していた。模範的な学生ならば、既に床に就いている時間だ。そろそろピュラとジョーンも疲れて帰ってくる頃だろう。ノーラは未だ楽しそうに笑いながら、彼の言いつけ通り口を閉じた。
 ちょっと本を返してくる、という短い言付けを受けて、ノーラは部屋にひとり残された。彼の行先が目の前の部屋であることは聞くまでもなかった。レンがワイスからいくつかのダストについての書架を借りていたことを、ノーラは知っていた。

 ほんの少しの時間のあと、レンは帰ってきた。部屋の扉を開けてすぐ目に飛び込んできた光景に、彼は忍び笑いを堪えることができなかった。
 ノーラは床の上でぐっすりと眠っていた。つけっぱなしのヘッドフォンからは、周囲にまで聞こえるほどの音量がまだ流れている。テーブルの上のデジタル時計は、10:00を示していた。
 パートナーの奇怪な習性にまったく動じることなく、レンはノーラに近づくと、彼女のヘッドフォンをそうっと外し、電源を落とし、元あった場所へ片づけた。その後、散々に乱れたノーラのベッドシーツを丁寧に直すと、床に仰向けで寝転がる彼女へと戻る。
 レンはノーラの小さな足と背中に手を差し込み、慎重に持ち上げた。幸いなことに、彼女は彼の腕の中にすっぽりと収まるほど小さく、見た目以上に随分と軽かった。
 きれいに整えたベッドの上に、静かに横たえる。眠っている最中の彼女があやまってシーツを蹴り飛ばさないよう、優しく包むように掛けてやった。
 眠るノーラの顔を見る。レンは、心地よさそうに幸せな寝息を立てる彼女を見るのが、とても好きだった。
 いつも見ている明朗快活な彼女とは異なる、穏やかでやわらかな姿。しかしそれは彼女のひとつの側面にすぎないということもまた知っていた。どんな姿をしていても、ノーラがレンにとって大切な友人で、彼のいちばんかわいい女の子だということに、変わりはない。
 レンが音をたてないように自分のベッドへ戻ろうとした時、ノーラの瞼がわずかに瞬いた。

「レン?」

  眠たげな声が彼を呼ぶ。
「ええ。おやすみなさい」
「うん、ありがとう…」
 ノーラは腕を伸ばして彼の鼻をつんと突いた。

「Boop」

※こちらの小説は このイラスト をもとに書かれた英語SSを私が翻訳したものです。

素敵なSSをくださったdyde21に感謝します。

「Boop」 dyde21:著 『http://dyde21.tumblr.com/post/105081108708/boop-rwby』